小倉のナガリ書店
(※かつて僕が別の場所で書いていたブログを加筆修正した復刻記事です)
かれこれ17年前の、僕が版元営業マンとしては、まだ駆け出しの頃の書店営業の想い出話になりますが、しばしお付き合いください。
今はもう残念ながら廃業してしまった書店の話ですが、ナガリ書店という書店が、かつて北九州市の小倉駅前の魚町商店街の中にありました。僕は当時、版元営業になってやっと2年目で、まだまだ地方出張にも慣れていない若造でしたが、確かこの17年前の2001年が、僕が初めて九州の書店に地方出張営業をかけた年だったと思います。
この変わった名前の書店(単に社主の名前をカタカナで表記しただけかもしれないが…)、ナガリ書店は、実は訪問する前からすごく気になっていた書店でした。
なぜ気になっていたかというと、この頃、当時僕が勤めていた出版社ではあらゆる注文(電話、短冊、FAX、出版VANのデータ注文等々)を、日本全国の書店の名前と住所等をデータベース化した、アクセスデータに入力し続けていた時期で、主にその入力を僕が担当していたこともあって、このナガリ書店から来る注文の傾向がちょっと変わっていることに気付いたからです。
何が変わっていたかというと、決して大型書店でもなく、ナショナルチェーンでもないはずの、この小倉の街の書店から、当時その出版社から刊行されたポルトガル文学の翻訳の『あらゆる名前』という本が、なんと5回も追加発注されてきていることに気付いたからです。
確かに本書『あらゆる名前』は、一部の都内の海外文学の棚がちゃんと大きくとってある大型書店などからはわりと好評で、追加注文がくることも確かにありましたが、この九州の小倉ぐらいの規模の街の書店から、注文が追加で5回も来るほど売れていたわけではなかったし、そもそもポルトガル文学の棚が、古い商店街の中にある街の書店にあるとも思えなかったので、「いったいどんな書店で、どれだけ本好きで目利きの書店員がいるんだろう…しかも売れてるみたいだし」ということで、とにかく一度訪問せねば!と思っていた書店でした。
そして17年前の2001年、僕は念願叶ってついに小倉の地に足を踏み入れたわけです。
当時小倉の駅前には、紀伊國屋書店があったと思いますが(この紀伊國屋書は確かこの年に閉店してしまった)、他にもブックセンタークエストやくまざわ書店など、いくつも書店があったと思います。
駅から10分ぐらい歩くと魚町商店街がありました。場所はもうはっきりと覚えていないのですが、建て込んだ商店街の中にうずまるように、確か2階建ての書店がひっそりと建っていたことを覚えています。それがナガリ書店でした。
建物はかなり古くなっていたような記憶がありますが、店内は奥の方に細長いつくりだったような気がします。レジには50~60歳ぐらいの一見気難しそうな男性の書店員が立っていて、2階に行くと、版元営業らしきスーツの人間と話し込んでいる40歳代ぐらいの書店員がいました。2階の人は営業と話し込んでいて声をかけにくかったのと、1階の男性は話しかけずらい空気があったので、ちょっとそのまま店内の棚を見てまわりました。「いったい『あらゆる名前』を5回も追加発注してくる書店の棚ってどんな棚なんだろう…」という目で眺めていたのですが、確かに棚のつくりや品揃えが独特な空気を出していましたが、でもポルトガル文学が置いていそうな、例えば青山ブックセンターのような雰囲気では当然(失礼!)なく、「え…いったいこの書店にポルトガル文学が置くような棚があるのか…もしかして全部図書館とかの外商の注文だったりして…」などと、いかにも怪しい客のように店内をウロウロとキョロキョロと蠢いていましたが、このままでは謎が解けないので、勇気を出して怖そうな1Fのレジの男性に声をかけてみることにしました(そんな気弱で営業やっていた当時の自分が懐かしい…)。
レジは客が並んでいるほど忙しい感じではないのですが、それでもあまり時間をおかずに次々とお客さんが本を買っていく感じで、この商店街にはこの書店ぐらいしかないので、それなりに客はついているのかなあ、といった感じでした。
客が途切れた時を見計らって、「あの…版元の〇〇社と申しますが…」と恐る恐る声をレジの男性にかけたところ、一瞬「何?」と言った感じで不愛想でしたが、社名の「〇〇社」にひっかかったようで、みるみる表情が変わり、「おお~〇〇社かい!よく来たねえ!」と急に明るいオジさんに変化していき、とりあえずホッとしました。
この1Fのレジにいた男性に、私がこの書店に来た理由と、『あらゆる名前』の追加注文を5回もいただいた話をしていくと、「そうそう!!そうなんだよ!あれは俺が注文したんだよ!」とのこと、僕はついにその謎が解ける瞬間が間近に迫っている期待でいっぱいになりました。
話をよく訊くと、どうやらナガリ書店が、ポルトガル文学などのコアな海外文学に強い書店ということではなくて、この男性(Nさん)が個人的に海外文学が好きで、著者のサラマーゴもよく知っていて、『あらゆる名前』が面白かったので、客に勧めたりもしていて、そんなこともあって、ジワジワ売れていって気が付いたら5回も追加発注をかけていたということが分かりました。
そんなことで、レジ前で僕とNさんの話はどんどん盛り上がり、そのうちNさんがレジ当番を別の若い書店員に半ば強引に押し付けて、「ちょっと喫茶店でもいこう! いろいろ話したいし!」ということで、急遽、魚町商店街の小さな喫茶店にNさんに連れて行かれて、2時間ぐらい本の話をして盛り上がり、ついでにいろいろと〇〇社の既刊本の注文もたくさんいただくことになりました。「君はもし無人島に1冊だけ持っていくとしたら、どの本を持っていく?」とか聞いてきたので「う~ん…そうですね…ドストエフスキーの『罪と罰』ですかね」(別に恰好つけていたわけではなく、当時一番読んではまった本だった)などと答えながら、時間はあっという間に過ぎていきました。
Nさんはもともと昔から書店員だったわけではなくて、AP通信でジャーナリストか何かをやっていたらしく、海外を飛び回っていた経験から、海外文学をよく知っていたようでした。
そんなこんなで、もう日も沈んできたので、そろそろ次の書店へ行きますと言い、喫茶店を出て、ナガリ書店の前で別れようとしたところ、「今日はどこに泊まるの?よかったら俺の家に泊まりにきなよ!」とまで言ってもらったのですが、もう福岡の方にホテルも予約してあったし、明日は天神の営業とか、いろいろ大変だったので、丁重に断って、「また必ず小倉に来ますよ!」と言ってNさんと別れました。
そして、別れてしばらく歩いていると、後ろからNさんの声が急にして振り返ると、「お~い!!名刺渡すの忘れてたよ~」と追いかけてきて、名刺を渡されました。「必ず来ますから!」と僕も言って、お互い笑顔で別れました。
それから何年か経ち…、なかなかNさんとの約束も果たせず、月日は流れていきました。
やっとその5年後、かなり遅くなりましたが、やっと2度目の九州出張が叶い、小倉にも2度目の訪問を果たすことができ、Nさんとの再会をワクワクしながらナガリ書店を訪れました。
もう夕方で、日も落ちてきて、魚町商店街も灯りが燈り始めてきていましたが、ナガリ書店がある場所には灯りが見えません…。
「あれ…暗くなってる。電気が消えてる…」嫌な予感がしました。
ナガリ書店はシャッターが閉まっていました。そしてそのシャッターにはB5ぐらいの小さな紙が貼ってありました。
そこには…
「お客様各位 この度、都合により閉店いたすことになりました。長い間ご愛顧ありがとうございました。 社主」
と書いてありました。
Nさんとの再会は果てせませんでした。
かつて、このナガリ書店のような書店は全国にいくつもあったと思います。
やはり本を売るのは、一書店員の力に負うところが大きい、とつくづく思った出来事でした。
ナガリ書店は、一度しか営業することができませんでしたが、でも一生僕の心には残ると思います。Nさんの笑顔とともに…。
営業は一期一会…。
この記事の執筆・監修者
春日俊一(かすが・しゅんいち)
株式会社アルファベータブックス代表取締役。埼玉県生まれ。
若い頃はシンガーソングライターを目指しながらフリーター。その後、書店員、IT企業、出版社の営業部を渡り歩いたのち、2016年にアルファベータブックスに入社。2018年に事業承継して代表取締役に就任。