2019年06月30日

文教堂書店の熱い日々

文教堂書店には、個人的にいろいろな思い、想い出があるから、なんとかこの危機を乗り越えてほしい。
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僕は高校を出たあとは、ミューズ音楽院というロックやポピュラーミュージックの音楽の専門学校に進学し、同時に家を出て練馬で一人暮らしをし始めて、そのあとミューズ音楽院には通わなくなり中退、ただ音楽の道は諦めきれずにフリーターをしながら一人でライブハウスに弾き語りで出演したりして活動していたが、数々のアルバイト先を点々とするなかで、94年ごろに文教堂書店の霞ヶ関店が開店するときにオープニングスタッフでアルバイト採用してもらい、その一年後、当時の店長に勧められて店長推薦で正社員として文教堂書店で働くことになる。

当時の文教堂書店は正社員になると、1店舗あたりの正社員の数が少なかったせいもあるが、多くのジャンルの棚を担当した。僕は最初の店舗の霞ヶ関店で、「文庫」「ビジネス」「趣味実用」「新書」「語学」を担当した。担当ジャンルが多いだけでなく、僕が働いていた94年から99年の書店は、今と比べるとかなり本が売れていて、パソコンもWindows95が発売されると同時に、それまでオタクのオモチャだったマイコンが一般の家電のパソコンとなり、同時にそれまで少なかったコンピュータ関係の雑誌や入門書が膨大に増え、さらに書店には毎日膨大な数の新刊が入荷するようになった。

霞ヶ関店は、昼休みとなると近隣の官公庁から客が殺到して、それこそ雑誌売り場などは立ち読みもすごくて通路が人で埋まり、歩けないぐらいだった。

当時の文教堂書店は、景気が良かったこともあって、とても本部で管理できないほど、次々と新店舗も増えていて、本部は人事と大手版元の大型企画の大量仕入れや、大手の既刊本のフェアの一括大量仕入れをする方で手一杯で、各店舗の細かい棚づくりや仕入れにまで口を出さなかったので、入社一年目の僕でも本当に自由裁量で好きなように仕入れをして棚を作っていた。それが売れるとまた楽しくなり、僕が当時出した記録としては、小学館文庫の全国売上第2位や、太田出版の『バトルロワイヤル』がベストセラーになる前に文教堂書店全店で圧倒的な売上を記録したこととか、いくつもあって、よく本を見て立地と客層を間違えなければ、売上もどんどん上げられるのが楽しかった。担当ジャンルも多いから、対応する出版社の書店営業の方の数も多くなり、その版元営業の方達から教わった仕事のイロハもたくさんあって、すごく活気がある職場だった。

まあ社員が少ないことで、かなりハードな職場になり、若くないと、かなり身体に負担がかかって厳しい職場でもあったので、人間関係もハードになり、精神的な負担も大きかった。若かったからできたなあと、今では思う。

たったの4年、今思うと意外に短い間だったけど、今も忘れない熱い日々、染み込んだ「本を売る楽しさ」だけは、今も消えずに残っている。

この記事の執筆・監修者

春日俊一(かすが・しゅんいち)
株式会社アルファベータブックス代表取締役。埼玉県生まれ。
若い頃はシンガーソングライターを目指しながらフリーター。その後、書店員、IT企業、出版社の営業部を渡り歩いたのち、2016年にアルファベータブックスに入社。2018年に事業承継して代表取締役に就任。