やり手の編集者とは
ここ数年、企画に困ることはなく、次から次へと、やりたい企画、持ち込まれた面白い企画、著者と話すうちに思いついた企画などなど、どんどん企画は増えていき、気がつけば私の担当だけでも25点を超える新刊の企画が、今同時進行で刊行に向けて、著者の執筆と私の編集作業が進んでいる。
企画によって、著者側がかなりの作業をやってくれる場合もあれば、著者が初めて単著を出す場合などは、著者に様々な本作りのアドバイスをしながら、かなりの広範囲にわたる作業を編集者が担うこともあったりと、同じ本でも編集にかかる時間はまちまちだ。
原稿も、Wordで完璧に誤字脱字、誤変換もほとんどなく、見出しも綺麗に入れて初稿を上げてくる著者もいれば、手書きで、まだあちこち原稿に抜けがあったり、推敲もほとんどしていない原稿があがってくることもある。
原稿が完璧にあがってきても、入れる画像が多かったり、著者が求める組版が複雑だったりすると、またかなりの時間を必要とすることもある。
そんなこんなで、私の場合、一冊の本を作るのに、無理やり他の仕事を全て中断して、その一冊の編集に集中し、休日返上して、妻に全ての家事と子供の相手を押してけて作った場合でも最短で3ヶ月、そういうことはせず、他の企画と同時進行の通常のペースで作った場合は、半年から1年、いろいろと乗り越えなくてはならないハードルがある企画や、ページ数が膨大な企画の場合は、2年前後かかることもある。
これは他社の編集者のスピードと比べると遅いのか早いのか? 私が前職でずっと本業が営業部だったせいもあるが、ずっと編集者同士の飲み会や会合への参加は少なく(今はコロナ禍だからほとんど無い)、あっても編集者同士は、あまり手をうちを明かすこともない感じで、他の編集者の仕事の中身はよく分からない。
でも、どうやっても、大手版元のように組版も校正も社内の部署や外注に出しているのと違って、自分一人で、それこそ最後の紙屋と印刷会社と製本会社との調整や仕事の指示、本が刷り上がったら取次や書店の注文の取りまとめと出荷の手配から、新聞広告やAmazonなどのネット書店の広告宣伝、図書館への宣伝などまで、担当した本の場合はほとんど全ての作業を自分でやるので、本を一冊作るのにかける時間は編集の時間だけではないから相当な時間をかけることになる。
なので、一人で作れる限界は私の場合は年間7点ぐらいだと思う。これ以上無理に作って出すと、物理的に時間が足らなくなるので、どこかの作業時間を減らすしかないので、本の作りは荒くなる可能性が高い。それか私はまだ子供が二人とも小さくて家族のために使う時間もエネルギーもそれなりの時間必要なので、仕事が増えると家族との時間を削ることになり、妻への負担が増えて結果的にいろいろな問題が起こり、精神的にも疲弊する。
それは嫌だ。
幸せから遠ざかるために仕事なんてしたくない。
刊行を待たせている著者には悪いけど、私にとっての人生は私だけのもの、若い頃はいろいろと会社や他者のために犠牲にしてきたけど、もうそういうことはしたくない。
なので、最近は新しい企画を始める前に、著者には刊行までにかかる期間が1年から2年かかっても、それでも構わないか、確認してから進めることにしている。
と、ここまで書いてみて……現実はというと……
しかし、今の我が社の状況、取次や書店の状況は、その刊行ペースを許容してくれるほど甘くはない。
許容してもらうためには、一点あたりの利益を今の2倍以上にしなくてはならない。それか長期間売れ続けるベストセラーの本を作るしかない。
それがなければ、出版社の経営は、かなり厳しくなってしまうとしか、今の私には思えない。
厳しい現実をどう打破するか?
大きな課題である。
やり手の編集者といわれる人達は、多くの点数の新刊を、しかもどんなに多くても内容のレベルを下げないで、短時間で集中して猛スピードで丁寧に仕上げる人達なんだと思う。
それこそ鬼のように。
鬼になること……果たしてその先に何が待っているのかは……考えるが怖い。
この記事の執筆・監修者
春日俊一(かすが・しゅんいち)
株式会社アルファベータブックス代表取締役。埼玉県生まれ。
若い頃はシンガーソングライターを目指しながらフリーター。その後、書店員、IT企業、出版社の営業部を渡り歩いたのち、2016年にアルファベータブックスに入社。2018年に事業承継して代表取締役に就任。